都市伝説はなぜ都市伝説なのか
都市伝説について一言で語り尽くすことは難しい。
よくある有名な怪談話から「友達の兄貴の知り合いの話」や噂話、民間伝承の類まで、その範囲が膨大かつ多岐に渡るからだ。
しかし都市伝説として共通している特徴に、「出処不明」と「真相不明」というふたつの点がある。
出処(でどころ)とは、その話が誰から広まったのか?というスタート地点であり、真相(真実・事実)とは言葉通り話のゴール地点だ。
この二つのうち、どちらかが明確になってしまうと、都市伝説としての機能は失われる。
都市伝説の機能を失った例
かつてアメリカの家庭用ゲーム市場を席捲したアタリ社。
アップル創業者のスティーブ・ジョブズも働いていたことで有名なゲームメーカーだが、1982年の年末商戦の失敗を契機に衰退し、83年から85年までのゲーム市場全体を崩壊に導いた。
この俗に言うアタリショックを象徴するのが『E.T.』だ。
この名作映画をゲーム化したソフトは、需要予測を見誤って大量生産され、ゲームの出来の悪さも相まって数百万本以上の売れ残り在庫を発生させるに至った。
この大量の在庫が、ニューメキシコ州アラモゴード市に存在する埋め立て地に廃棄されたという「ビデオゲームの墓場」伝説へと発展することになる。
2014年に伝説の検証のため、発掘作業が行われ、結果として「ビデオゲームの墓場」は真実であることが判明した。
長いあいだ「ビデオゲームの墓場」が都市伝説化した理由は、関係者が口をつぐんでいたためだった。
その理由はそれぞれの利害によって様々だが、一番大きなものは「噂を聞きつけた子供が、埋立地にゲームを掘り返しにきてトラブルを起こさないように」という至極真っ当なものだ。
生産余剰の在庫を廃棄処分すること自体、不名誉なことであったし、表立って真実を語るメリットがアタリ社側になかったことが、都市伝説化の原因となった(ただし減税目的で実行しているため、隠していたわけでもない)。
真実が明らかになったことで、「ビデオゲームの墓場」は都市伝説としての機能を失った。
「ニューメキシコの某所には、数十万本から数百万本のクソゲーが埋められているらしい」の「らしい」という部分が削除されてしまったのだ。
この顛末は『 ATARI GAME OVER』というドキュメント映画に詳しい。
都市伝説の定義
「ビデオゲームの墓場」伝説は、近年においては真相が判明するまで30年という長きに渡ったために稀有な事例となったが、噂話が都市伝説としての機能を失うことは珍しいものではない。
TwitterやFacebookで拡散される芸能人の「イイ話」や「死亡説」などは、本人が真相を語り、短期間のうちに収束していく。
都市伝説化する前に消えていく話のほうが多いのかもしれない。
とにかく、噂が単なる噂話を超えて都市伝説化していくには、「出処不明」と「真相不明」のふたつの要素が不可欠だと私、芦屋堂は考える。
都市伝説の要素として「真相不明」について大まかに語ったが、むしろ重要な点は「出処不明」のほうかもしれない。
話の「出処」が不明になる経路はいくつかある。
昔話や民間伝承のように、古すぎて語り主が誰かわからなくなってしまったものから、本人や関係者が死亡して確認が取れなくなったもの、あるいは口をつぐんでしまったものは、広がりを持たずに不明になったパターンだ。
また、噂に尾ひれがついて、最初の発話から大きく異なった進化を遂げた場合。
完成した都市伝説が広まるころには、話の元になった本人ですら自分の話が発端だとは気付かないようなケースも、出処は曖昧になる。
そして意図的に出処が隠されることも、場合によってはあるだろう。
「出処」が意図的に隠された(ように思える)ものは、とくに「陰謀」と呼ばれる。
以上から、当サイトでは「出処不明」と「真相不明」を都市伝説の定義として位置づけたい。
そういった意味では、インターネット・ミームはその発展・拡散の仕方は都市伝説に似てはいるが、出処を特定しやすいという点において決定的に異なる。
一過性の流行で終わり、都市伝説化しないのは、「出処不明」という要素を欠いているからにほかならない。
しかし都市伝説との類似性や差異を考えることで、より本質を浮き彫りにできる可能性があるため、インターネット・ミームについても一項目を割いて考察していきたいと思う。